テンプラーナ早期介入療法のホームトレーニング症例 オマーンの脳障がい

デンマークのリフレクソロジー「ソレンセン式神経反射療法」の日本校

Aisha

テンプラーナ早期介入療法のホームトレーニング症例 オマーンの脳障がい

オマーンのオマールのケース(母アイーシャによる報告)
診断名:脳障がい

オマールは生後11か月17日目までは問題なく成長していました。
誕生日の3日前から下痢になり、ひきつけをおこすようになりました。

病院へ連れていくと全身性痙攣であるということから、小児用集中治療室に運ばれました。
その時には危篤状態となっていましたが、調べても診断名はわからないままでした。

「生まれた時から何らかの異常があったはずなのに母親が見逃していた」、「脳腫瘍である」、「脳に水が溜まっている」など毎日新しいこと告げられました。

私は注意深く一つ一つの診断を聞きながら、静かに泣いていました。
そして最悪の事態に際して強くいなければと自分に言い続けました。

そうして2か月集中治療室で過ごした後、息子が長く生きることはなく、もし生きたとしても何もできない子となるため、アラーに次の子を願うと良いだろうと言われました。

私はそれを聞き、アラーにこのギフトに対して礼を述べ、また自分の運命に立ち向かえるように強くいられるよう祈りました。

私が病気の子供の看病で必死だった時に、腎不全で透析のため入院していた母が急死したこともあり、どうしたらよいのかも解らず過ごしていましたが、このままではいけない、セカンドオピニオンのために海外へ行かなければと決意しました。

医師に息子を遠くまで連れていくのは危険である、飛行機よりも車での移動が望ましいとと言われたことから、夫と一番近い隣国であるアラブ首長国連邦へ行ってみようと決めました。

息子の診断を下した神経学者のアドバイスに基づきオマーンに戻り医師から抗癲癇薬を出されましたが、どれが一番効くかわからないとのことだったので暗中模索の中、ようやく息子に良いと思われる5種類に落ち着きました。

しかし5種類もの薬を、それも副作用があるものを息子が取り続けていくことに疑問を抱いた私は息子を連れてロンドンの病院へ行きました。

 

ロンドンでの滞在は2か月。そこで初めて私と夫は息子を任せられる治療チームに出会い安堵しました。担当の医師が何時間も私たちのために時間をかけて息子の状態と必要な治療について説明をしてくれました。その後リハビリテーションセンターに移り、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士からなる専門チームが息子の機能回復のために編成され、さらにオマールに行うホームトレーニングについても耳にし、自宅で行えることがあることを知りました。

 

オマーンに戻った後、地元の病院に新しい治療法を伝え、息子の癲癇の発作は抑えられるようになってきました。しかし、言語、運動、視覚、記憶、集中力などにおいてはまだ遅れが見られ多動もみられました。

 

そこで、図書館へ行き医学書や専門書を手にし、少しでも息子に良い情報はないかどうか情報を求めました。また、ネット上のあらゆる医学ジャーナルを検索し、購読しました。

また、知的機能の問題などにかかわる医学会などにもいろいろと参加しました。そこで医師とのコミュニケーションを図るために必要な医療専門用語を覚えていきました。

 

2009年のある日、アデリ・スーツ・セラピーというペンギンスーツと呼ばれる宇宙服の最新版についての記事を新聞で目にしました。それは長期間無重力で過ごす際に、筋力を使用しなくなることでの筋力低下に備えて宇宙服内側に着用する加圧スーツに関してでした。

このスーツには調整可能は伸縮性のあるバンドが備えられており体を正しい形の整える機能が備わっていて運動制御の問題のある子供が装着すると正しい動きをしようとスーツが動き、その後、患者は週に6回の運動療法を30日間受けるシステムになっており、これにより脳が筋肉を動かす際に使用するシグナルを記憶するというものでした。

これを目にし、早速息子を連れて最大規模のアデリ・スーツ・リハビリテーションセンターのあるスロベニアに行き2か月間過ごしました。そして最初の2週間で息子に大きな変化が現れ、筋肉の張りが整い、拘縮も軽減されました。姿勢が整っていくと同時に言語も改善されていきました。その後もトリートメントの注意事項を受けましたが、プログラムを続けていくにあたり、年に3回、少なくても2回はここに来なければならないとのことでした。

ほかに選択肢もないことからコストが膨大にかかり経済的に困窮状態ではありましたが何とか2年間続けました。

2010年に国外のカンファレンスでデンマーク人のスペシャリストであり、神経反射療法の考案者であるロネ・ソレンセンにお会いしました。彼女のワークショップで講義を受け、顔と手、足の施術を体験し、そこで彼女から私の目の持病のことを言い当てられ、衝撃を受けました。

 

その後、この療法のついて調べた私は、2011年に家族とともにスペインへテンプラーナ早期介入療法のファミリーコースを受けに行きました。このファミリーコースでは家族全員がその子に対するホームトレーニングを一緒に学べるのです。

 

ガイドラインと息子のために行うテキスト、そして手順を撮影した動画とともに帰国後、ホームトレーニング開始2週間で記憶、言語、学校での問題、集中力、行動、社会性、運動機能などに大きな変化が見られました。

 

今まで様々な努力をしてきました。それぞれ行った時にはそれなりの効果が見られましたが、持続しないという悩みがありました。それがテンプラーナでは全く違うのです。どんどんできることが増えていくのです。

 

これまでのこともあり、障害を持つ子供の母としてこれを必要な人に広めなければと私は2011年の12月にロネ・ソレンセンにオマーンでの現状を伝え、実際にオマーンでテンプラーナ早期介入療法を開始することができました。必要な人が多い地域に行き行っていた活動から、現在はホワイト・ハンズ・センターを設立し、定期的にテンプラーナ早期介入療法を必要な人が受けられるようになりました。

 

まだ、国内のテンプラーナ早期介入療法士がいないことからロネ・ソレンセン自身や海外からテンプラーナ早期介入療法士に定期的に来てもらっている状態ですが、今後はいつ来てもこの療法が受けられるように早く国内の療法士を増やしていきたいと考えています。